年間第30主日(B年)

マルコ10:46-52

 聖書を読むとき、どの人物に注目するかで物語全体の印象が変わってきます。今日の福音の登場人物は、イエス、盲人のバルティマイ、弟子たち、群衆です。イエスに注目すれば、どの人をも救いたい神の慈しみ、愛について語られています。バルティマイは何があっても、どんなときにもイエスを求めて生き抜く信仰者の理想の姿を描いています。弟子たちはイエスと違って誰がイエスに近づくことができるか、また、強い表現をすれば、自分たちの選んだ人以外は排除しようとする人間について、さらにイエスの意向を理解しない人とも言えます。群衆については弟子たちと同じような立場で並列して書かれ、この群衆の中に最後はバルティマイも弟子も入っていくことが想像できます。つまり、イエスの集団の中には、イエスとさまざまな関りがある人間の集団であることが分るでしょう。

 聖書は信仰の書ですから、今日の福音ではバルティマイにスポットをあてるのが良いかもしれません。信仰者の理想像としての彼とイエスとの関り。一直線に、自分の命をも左右する大切な持ち物である上着も放り出して、喜んでおどりながらイエスに会いに行く盲人。目が見えませんからイエスがどこにいるかもわからないのに突き進んでいく勇気。もちろん、目が見えないのは私たちにとって信仰と同じ。暗中模索の信仰の日々を象徴的にマルコは描いているのでしょう。そして、見えるようになり、さらに進まれるイエスに従っていく。目が見えてイエスを見ることができた喜びと感謝。一生、イエスに従っていこうとする決意、そういったものを感じ取ることができます。

 しかし、やはり、一番注目して欲しいのはイエスです。イエスはどんな人にも自らが希望となり、喜びを与え、その人の本当の願いを聞き、人を神との本来の関係に引き戻すことを望み、共に歩むことを望んでおられる。これは、人々の中にあって愛に生きたいという神の意志そのものとして聖書はイエスを描いているように思います。また、暗闇をさまよう私たちに光を与えてくださるイエス。私たちの困難の中に入り込んで自ら光となって私たちを照らしてくださるイエスを黙想したいと思います。

 聖書は聖書全体をしっかり見通しながら部分にこだわって、ゆっくり、じっくり味わいたいと思います。聖書全体を読むのは困難を伴いますが、仲間と一緒ならできるかもしれません。みなさんが、お友達と一緒に聖書に親しむ時間を作ることが出来たらとお祈りします。