年間第23主日

マルコ 7:31-37

 今日、皆さんと分かち合いたい主題は'言葉'です。私達は生きている間にたくさんの言葉を発します。たまには独り言を言うときもありますけど、多くの場合には誰かに思いを伝えるために言葉を使います。言葉を通して自分の思いや考えなどを伝えようと頑張ります。しかし、うまく伝わらない時もよくあります。「言葉では表現できない」と言うくらいに喜びや悲しみを感じる事もあります。また、「あの人には話し(言葉)が通じない」と言う場合もあります。では、どの様に言葉を使うべきなのでしょうか?


 今日の福音でイエス様は、耳が聞こえず舌の回らない人を癒す話を聞きました。私は昔、手話の部活をしながら聾啞者とお会いしたことがありました。この方達は声で音を出すのが少し難しいだけで、言葉をよく聞いて手で自分の思いや考えをよく伝えていました。耳が聞こえない方もおられて、彼は自分の声も聞こえないので声を出しても変わった音でした。しかし彼は目でしっかり相手の目と口の動き、顔の表情と手を見ながら言葉では伝わらない細かいことまで細かく感じていました。音声だけを使った電話、文字だけを使ったメールなどで誤解や争いを作っている私達の方がイエス様の癒しが必要なのかも知れません。

 話を戻して、どの様に言葉を使うべきなのでしょうか?どうしたら罪にならない素敵な会話になるのでしょうか?イエス様が行った癒しの順番をよく考えてみましょう。イエス様はまず彼の耳に指を入れました。聞くことが先です。大事なのは相手の声を聞くだけではなく、自分の心の声を聞くことも含まれています。相手の声を聞く前に自分の本音すら聞こえていないこともあります。仲直りがしたいのに目の前の事で素直には言えなかったり、正直に言いたいけど恥ずかしくて、ごまかしたりなど。自分の本音に気付いて、相手の心を聞き入れる必要があります。次にイエス様は唾をつけて舌に触れました。一人暮しをしている方にはこの意味がもっと深く感じられるかも知れません。話す人がいない、口の中が乾いてしまった。または話しても意味がないと思って黙っている。イエス様はその乾きに直接触れながら繋がりを作りました。そして「エッファタ」、「開け」と言われました。私達は相手が求めていること、乾いている状況に触れているでしょうか?

 コロナで多くの方々が他の人との繋がりが弱くなったり、神様とも遠くなったりするような経験をされたと思います。大切なのは人と対面できるかとか、教会に来れるだけではなく、自分の本音を聞き入れること、相手の乾きに気付くことです。神様も同じです。‘教会に来れないから私(神様)に会わないの?’と。皆さんの愛に乾いている神様は今日、皆さんとの会話、お祈りを待ち望んでいます。皆さんの愛に乾いている誰かが今日、皆さんとの会話、愛情を求めています。

(滋賀ブロック担当司牧者)