聖母の被昇天(B年)

 今日は聖母マリアが天の栄光に上げられた事を記念し、祝う祝日です。この日がどうして祝うべき日なのか?私達とどんなの関係があるか?について分かち合いたいと思います。聖母の被昇天を正しく理解するためにはマリアの生涯をよく考えてみる必要があります。


 マリアの人生の前半は他の人々とあまり変わらない、平凡な乙女としての時間だったかも知れません。しかし、天使ガブリエルからの知らせをはじめ、彼女の人生は神様とより深く繋がる事になりました。そしてその繋がりは世の中の基準としては決して幸せな人生ではありませんでした。乙女でありながらも聖霊によって子を胎内に授かった時に回りから受ける視線、出産直後の体でヘロデの虐殺から避難した苦難の旅路、イエス様が生まれた後にシメオンから言われた「剣で心を刺し貫かれます」との不吉な預言、神殿から帰り道にイエス様を見失ったこと、十字架を背負っているイエス様と出会ったこと、十字架に付けられる息子に何も出来ない苦しさ、息が止った遺体を抱きしめ葬ったこと。非常に苦しくて悲しいと思われるマリアの生涯に対して今日の福音では「女の中で祝福された方です」と言い、私達も祈りの中で言葉にしています。なぜでしょうか?

 その答えはマリアの「絶えざる信頼」にあります。実際マリアは神様がご自身にこれから何が起るのか、どの様にされるのかを全て知ってから神様を信じたのではありません。神様の御旨を理解したから信じたわけでもありません。どんな苦しみや理解できない辛さに対面しても神様への信頼を諦めず、最後まで守り続けたマリアの生涯を聖書は「祝福された方」と書き、私達もその模範に見倣うためにお祈りをしています。


 私達も洗礼を受けた時から神様とより深く繋がりました。しかし、信仰生活を続けるほど、教会との関わりが深くなるにつれて、色んな試練に対面することがたくさんあります。回りから受ける視線、信仰生活と日常生活の間の苦難の旅路、世間で言われる批判、イエス様を見失ったような経験、奉仕のために背負う十字架。信仰生活は、幸せを与えるだけではなく、信仰が無かったら良かったかもしれないと思うほどの苦しみを伴います。

 聖母マリアの被昇天は私達に信仰生活からの苦しみを乗り越える前例として大切です。平凡な乙女が行った耐えざる信頼は、全てを知っている神様に認められ、報われたことを先に知らせて下さいました。そしてマリアの被昇天を記念する今日、私達も耐えざる信頼の旅路に招待されています。私達の歩みを見守って下さるよう聖母マリアに祈りながら信頼の旅路を歩みましょう。

Rubens, Mariä Himmelfahrt (Antwerpen)

(滋賀ブロック担当司牧者)