年間第21主日(B年)

2021年8月22日

ヨハネ6:60−69

今日の福音は「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ6:53)の続きです。イエスからこの言葉をいただいた多くの弟子はイエスのお話を聞かなくなり、イエスから離れ去ってしまいます。「目の前にいるイエスの肉を食べる?血を飲む?…そりゃ、おかしいだろう。」と多くの弟子は思ったのでしょう。イエスの持つ言葉の価値より、自分の持っている価値を優先させてしまったのです。それでもイエスについていこうとした人たちがいました。イエスは神だと信じる人たちです。

この時、ペトロはイエスの肉を食べ、血を飲んでいたわけではないでしょう。私達のように聖体拝領はしていないのです。それでも、イエスにかけていく、仕事も家族も捨ててイエスと共にいることを優先しようとする、その信じる力は聖なる霊が与えています。私達も今、イエスの御体と御血をいただいていない人が多いのではないでしょうか?それでも、イエスに繋がっていたいと願うのは聖霊が私達に働いてくださっているからでしょう。

しばらく前にあった、信者さんとの会話。コロナ禍でなかなか会えずにいた私達は御葬儀で顔を合わせることになりました。「神父さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」私はなぜかその信者さんと会うのが久しぶりだと思えなかったのでした、実際には何か月もお会いしていないのですが…。「え~~?そんなに久しぶりですか~?私は皆さんのことをいつもお祈りしているので、久しぶりだとは思えないな~。」「私もですよ~。」心の距離というのがあると思います。その人とどれだけ繋がっているか。聖体拝領で身も心もイエスと一つになるのですが、確かに体は一つになるでしょう。しかし、心は?

コロナ禍で聖体拝領ができない状況に陥っています。体はいただけなくても、心は一つになる事はできるのではないでしょうか?霊的聖体拝領はそのような状態を指しているのだと思います。イエスと心が一つになれば、私達のうちに永遠のいのちが宿り、それによって私たちは永遠に生きることができる。活き活きと幸せにワクワクしながら未来を待てるのも、イエスと心を一つにするからだと思います。だって、神は私達に良いものしか与えないのですから。聖霊の力を願いつつ。

(滋賀ブロック司牧担当者)