年間第17主日(B年)神父様説教

ヨハネ6:1-15

  「生きるために食べるのか?食べるために生きるのか?」大切な糧についてこ のような質問は失礼かもしれません。ご飯屋さん巡りなどがお好きな方は「食べ るために生きる」と答えるかも知れません。私も美味しい食事をする時は「生き ていて良かった」と思うこともありました。皆さんは如何でしょうか?どの答え であろうと、食べることは大切だと思われます。その上、カトリックの信徒であ る私達にはもう一つ、大切な質問があります。「私は生きるために食べるのか? それとも死ぬために食べるのか?」何を食べるかによって答えは変わるかも知 れませんが、信仰の中で「どのように食べるか」はもっと大切になります。皆さ んはどのように食べていますか?

 今日の福音には二つのパンの姿が語られています。一つは、自分の腹を満たす ために隠し持っていた一人で食べるパンです。もう一つは、全員が食べるのには 足りないけど、自分だけではなく多くの人々の前に出された少年のパンです。パ ンを食べるから生きていられる人間ですが、そのパンをどのように食べるかに よって「一緒に生きる」奇跡は始まります。全員が食べるためには足りないパン は、何の役にも立たないと思い、諦めと絶望に陥って、ただ一人、生きるために 食べるパンで終わります。これに比べて、全員が食べるのに足りないと考えなが らも差し出した少年のパンは、少年の小さな奉献の気持ちと感謝の心が込めら れたパンです。そのパンをイエス様は皆を一緒に生かすパンに変えて下さいま した。皆さんはどのようにパンを食べていますか?

 私達はまた、もう一つのパンを頂いています。このパンはただ生きるためでは なく、このパンだけでは栄養も十分には取れません。ある意味ではこのパンは死 ぬために頂くパンです。委ね、奉献し、犠牲となるために頂くパンです。このパ ンは人間の欲望の命を捨て、神様の愛の命へ導いています。これがイエスキリス トの御体、御聖体です。イエス様から御聖体を頂いた私達は己の欲望を捨て、一 緒に生きる選択を進めたいと思います。御聖体を頂いたとき、自分だけではなく、 皆のためにもお祈りしながら愛の行動へと進んでまいりましょう。

(ブロック司牧担当者)