年間第14主日(B年)神父様説教

 今日の朗読、第一朗読、第二朗読と福音朗読に一つの共通の線が見られます。それは、神の支え、神が試練を乗り越えるために力を与えて下さる事です。

 第一朗読のエゼキエルの預言2.2-5で、エゼキエルは神の霊が自分の中に入り、自分の足で立たせて、神に逆らう強情な民に語るように遣わされたと言います。エゼキエルは神の霊が与えられ、使命を果たす力を得ますが、決して楽な道ではありませんでした。

 第二朗読の2コリント書12.7b-10で、パウロは自分が思い上がる事のないようにと、自分の身に一つのトゲが与えられました。

思い上がらないように、わたしを痛みつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度、主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。

神の恵みを受けたパウロはこの後に、こう言います。

キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足をしています。なぜなら、私は弱い時にこそ強いからです。


 マルコ福音書6.1-6で、イエスは

預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである

と言われたのは、弟子達を力付けるためでもあります。イエスが十字架につけられた後、ファリサイ派や律法学者、つまりイスラエル人達からの迫害の手が弟子達や教会の上にも及ぶ時に、驚き、孤独、悔しさの中、宣教活動の魅力を失わないようにする為です。


 今、コロナの影響で困難に陥っている社会では、今日、特に聖書の言葉に神の導きや支えを感じます。今、私たちは人との交わりを恐れ、孤独を感じます。ミサにも行けないし、外には買い物のみに出るようにしています。私たちは洗礼の時、エゼキエルのように神から霊を頂いたことを思い出せば、彼のように霊の力で自分の足で立つ事ができるのです。

 今、自分が色々な面で弱くなっていくと感じているであれば、パウロのように自分の弱さに誇りを持ちましょう『わたしは弱い時にこそ強いです、キリストの力はわたしたちの弱さに宿るからです』。

 そしてこの状況に驚かないために、福音のイエスの言葉を思い出しましょう、『それから、イエスは付近の村を巡り歩いて教えになった』。たとえ思うようにいかなくても、我々は進まなければならない。立ち止まる、頭を抱えるのは、選択肢になりません。イエス・キリストが私たちの力。彼は命であり、真理であり、道なのです。

(滋賀ブロック担当司祭)